一般財団法人義倉

義倉のあらまし

明治〜戦後

戦前の義倉事務所

明治以降も飢饉救済事業以外は継続

明治政府が樹立されて以来、飢饉等の救済は政府の手で行われることとなり、全国の義倉・社倉の類は殆どがその使命を終えたとして解散・廃止の運命を辿りました。
しかし「福府義倉」は、飢饉救済の事業は政府の手に委ねたものの、従来の文化教育活動を軸に事業を継続致しました。
義倉・社倉の灯が消えゆくさ中にあって、その流れを継承して現在まで活動を続けている団体は、僅かに「秋田感恩講」と「福府義倉」と全国的にも極めて珍しい存在となっております。

社会資本整備、教育施設の充実、農業の補助など様々な活動を展開

明治以降の主だった「義倉」の事業を眺めてみますと、明治初年、全国規模で地震や津波の災害見舞金贈呈や、流行病防疫のためその経費を寄付、道路・橋梁の建設には資金を負担するなど黎明期の福山に多彩な活動を展開しています。
各村々に尋常小学校が設置されるや「義倉」はその設立資金を贈呈、更に尋常高等小学校、或いは中学校・女学校・実業学校への寄付、用地提供、経費補助等を致しました。
また農業技術発展のため、農業講習会や農産品工業品の品評会施設の補助、農業会技術員養成、地方養蚕業の奨励に経費補助を、更に日清・日露の戦役以降、陸軍病院の建設費献金、出征軍人の留守家族・遺族の援助等をしています。
明治32年民法が施行され、財団法人制度が発足するやいち早く名乗りをあげ、備後福山認可第一号として財団法人に脱皮致しました。

義倉図書館の設立と更なる救済・支援事業の継続

「義倉」の一大事業は、明治43年に設立致しました「義倉図書館」の経営であります。
福山東町の一角に設置された図書館は、その当時地方図書館としては蔵書冊数や設備面で威容を誇り、福山の皆様に親しまれました。福山市民図書館をはじめとして教育施設に図書購入費の助成を行っていたのは、往時の「義倉図書館」を偲んでの事業であります。
大正期から昭和初年の事業は上記事業を継続しながら、生活困窮者への資金援助や片山病撲滅のための資金協力、山本瀧之助の青年教育支援等地道な活動を展開しています。
また大正10年庶民金融の便を図るため公益質店を開設、さらに昭和18年戦火激しくなったさ中には箕島に青年練成道場を開設して人材育成・教育の活動を続けて参りました。

義倉図書館

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