一般財団法人義倉

義倉のあらまし

戦後〜現代

義倉女学園義倉女学園

戦後の混乱の中、活動方針を転換

昭和20年忌まわしい福山空襲で図書館をはじめ「義倉」諸施設一切が灰燼に帰し、続く昭和22年の農地改革により「義倉」の中心的財産であった百数十町歩の農地はその全部を失うこととなり、「義倉」は今後の方向を大きく転換せざるを得なくなりました。
昭和27年、荒廃した戦後にあって婦女子教育が最も重要な課題であるとして、「義倉女学園」を設立、人間完成のための文化教養の場として評価を戴いて参りましたが、時代の変遷とともに「義倉女子専門学校」もその使命を終えることとなります。
平成3年3月、開校以来約五千名になんなんとする卒業生を世に送り出し、かつ40年の長きにわたった学校の歴史は、惜しまれつつ静かに幕を閉じたのであります。

寄付・助成の活動に専念

平成3年、学校の終焉を機に明治32年制定以来の寄附行為を改正して、時代に適応した方向に転換、「義倉」は小規模ながらも財団法人本来の寄付・助成の活動に専念することと致しました。
それ以降は福山市を中心に周辺町村の福祉・教育・殖産の三分野において、様々なボランティア活動への援助や、教育文化の向上及び地場産業推進・振興のための資金を拠出して寄付・助成活動を続けてゆくことを決意致しました。
昔日の「義倉」の活動とは比ぶべくもありませんが、現在は社会的に有意義と評価される団体を選考して助成金を交付する活動を続けております。

一般財団法人へ改組

平成20年12月1日公益法人制度の改正がなされ財団法人「義倉」は平成24年4月1日から一般財団法人「義倉」として引き続き事業を実施することとなりました。
私共「義倉」関係者は、二百余年の昔、同志を糾合して世直しに情熱を注いだ「義倉」創設者の趣意をふまえ、ささやかながら福山市民の皆様に如何にしてお役にたち得るかを考え続けて行きたいと念じております。

現在の義倉社屋現在の義倉社屋

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